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2016年7月30日 (土)

飯田橋・神楽坂の坂 (4)

早稲田通りを神楽坂方面に戻る。 地下鉄の駅は神楽坂上にあるのが神楽坂駅、下にあるのが飯田橋駅だが、一般的に神楽坂はその間になる。街のスーパーマーケット神楽坂KIMURAYAの角を右に曲がると緩やかに上る朝日坂。

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坂の途中にある標識によれば; 『御府内備考』には、かつて泉蔵院という寺があり、その境内に朝日天満宮があったためこの名が付いたとある。明治の初期までこの辺りは牛込朝日町と呼ばれていた、ということだ。 坂上の園福寺の門脇に昔の版画が金属板で掲出してある。 圓福寺は加藤清正の創建。

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圓福寺先を左折すると下り坂になる。 その先を進むと大久保通りの手前で道の向こうは崖のような段差になり右に折れているが、道の脇に大久保通りに下りていく階段がある。 これが袖摺り坂である。

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昔は両脇が高台と垣根の狭い坂道で、すれ違う人がお互いの袖を摺り合したらしい。 今もこの階段だとそうなるだろう。黒塀が雰囲気を醸し出していて気に入った。

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袖摺り坂と垂直に出合うのが大久保通りだが、ちょうどここは弁天坂にあたる。 ここには東京都が設置した金属製の標識が設置してあるが、この都の標識のタイプはいつもいたずらされ何が書いてあるかわからなくなる。 ここの標識はなんとか読める。

坂名は坂下の南蔵院境内に弁天堂があったことに由来する。明治後期の「新撰東京名所図会」には、南蔵院門前に甘酒やおでんを売る屋台が立ち、人も多い様子が描かれている。 周辺は江戸時代は武家屋敷、町屋、寺院が混在するエリアだった。

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