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2016年7月17日 (日)

市ヶ谷~曙橋の坂 (4)

荒木町の窪地を抜けて津の守坂を防衛庁方面に下り再び靖国通りへ出る。 広い道幅の靖国通りを渡ると斜めに交差する短い登り坂がある。 合羽坂である。

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坂の途中に昭和58年に建てられた御影石の説明柱がある。「新撰東京名所図会によれば、四谷区市谷片町の前より本村町に沿うて仲之町に上る坂道を言う。昔、この坂の東南に蓮池という大池あり。雨夜など獺(かわうそ)しばしば出たりしを、里人誤りて河童と思いしより坂の呼び名と転じて合羽の文字を用いて云々。いずれにしても昔この辺りは湿地帯であったことを意味し、この坂名が付けられたものと思われる。」と記してある。

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坂下の小さなスペースには可愛い河童の頭の石像が置いてあった。 ご愛敬である。 しかし現代はすでに絶滅種とされているカワウソがここにいたという事の方が、河童話よりも私の心に響いた。 坂上から靖国通りの向こうに蓮沼が広がり、その向こうには坂町の町屋、その右手には摂津の守の屋敷。 そういう風景を見てみたい気持ちになった。

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合羽坂を上ると曙橋。 南北に走る外堀東通りが靖国通りを橋で跨ぐ。 地下鉄曙橋駅で靖国通りを再び南側に渡る。 少し新宿方面に歩き、住吉町交差点手前で左の路地を見ると真っすぐに上る坂がある。 これが新坂である。「全勝寺から靖国通り手前まで下る坂道で、明治30年代の道路新装によって出来た坂道である。江戸時代には、甲州街道から全勝寺まで杉の木が連なる杉大門通りが延び、(この)新坂が出来て靖国通りまで通じることになった。『今は杉樹は伐採し、その道は新道に通じて、直ちに市谷に達せり』という光景だった(新撰東京名所図会)」と坂上の説明柱に記されていた。

確かに明治初期の古地図では全勝寺の北側つまり坂の辺りはすべて墓地になっていた。 それが明治の終わりの地図では切通しの道になり「新坂」と名うってある。 その全勝寺の路地をぐるぐる歩き、かつての舟町から愛住町に入ると路地の角に四角い建物がある。

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写真の墓地の石垣の向こうにあるその四角い建物は「釣り文化資料館」とある。 釣り人としては気になったが土日は開いていない。 残念。 どうも和竿を中心に伝統的な江戸の釣りの文化を伝えてくれる資料館らしい。

写真の墓地の下の坂道が暗闇坂(暗坂)である。坂の途中に説明板がある。四谷北寺町へ出る道で、坂の左右に樹木が繁って暗かった為この名が付いた。 別名くらがり坂ともいう。 江戸時代坂上一帯は多くの寺院が並び、四谷北寺町と呼ばれていた、とある。

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暗闇坂は緩やかに曲がり下って行くが、直線的に靖国通りに下りていく階段もあってこれは後に作られた暗闇坂の一部だろう。 坂上だけでなくこの階段の上にも説明板が立ててあった。

地形的にはこの靖国通りは富久町辺りを源頭とする沢筋にあたり、北に行っても南にってもその沢が削った台地になっている。 この沢は旧フジテレビ辺り(住吉町)から流れ落ちる沢と曙橋で出合い、市谷の外堀に注いでいた。

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