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2016年7月13日 (水)

信濃町の坂 (4)

須賀神社の辻から一本先の路地を左折すると観音坂。 角の寺院は真成院(しんじょういん)。 真成院の潮踏観音が坂名の由来。 坂上は右手の西念寺の裏手になるため、江戸時代には西念寺坂とも呼ばれた。

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潮踏観音は別名汐干観音とも呼ばれる。江戸時代に観音様の足もとに海の水が寄せていたというので、この地に来てからではなく、江戸城外堀工事の際にもっと海近くにあったのがここに移されたその前の話だろうと推測した。 多くの寺社は江戸幕府の始まりに当たって移転を余儀なくされている。 赤坂の日枝神社も元は皇居内にあったと聞く。

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坂上の西念寺は服部半蔵の槍が有名。 半蔵が家康より拝領した槍を今も保存しているそうである。 服部半蔵と言えば伊賀忍者の中心人物。 西念寺も元は四谷の清水谷にあったが、外堀工事のためにここに移転してきた。 境内には半蔵の墓がある。

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西念寺前をそのまま進むと鉄砲坂の中腹に出る。 鉄砲坂は若葉通りから緩やかに上ってきて、西念寺の道に出合うとクランクになり鮫河橋方面に向かう。 江戸時代この辺りに御持筒組(おもちつづぐみ)屋敷があり、屋敷内に鉄砲の稽古場があった。その為鉄砲坂と呼ばれた。 それ以前はここに赤坂の鈴降稲荷があったので、稲荷坂とも呼ばれた。

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クランクして鉄砲坂上を歩いていくとやがて中央線を渡る橋に差し掛かる。 この橋の先が薬缶坂というらしいが短くてよくわからない。 昔はかなりの急坂だったらしいが鉄道の敷設に伴い緩やかになったらしい。

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橋上から中央線のトンネル(御所トンネル)を見下ろせる。一番右の線路がもっとも古く、甲武鉄道時代の敷設である。 こちら側のトンネルはほかの3本と同じデザインだが、四谷側は下の写真の通り、歴史を感じさせる。

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このトンネルが掘られたのは1890年代、新宿から飯田町(飯田橋の東側)まで甲武鉄道が開通した時のことだ。トンネルの上は皇室の通う学習院初等科の校庭。

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薬缶坂を下ると公園脇で広い道路に出る。 ここは鮫河橋坂という。並木の美しいきれいな坂道である。 この坂を下り明治記念館側が安鎮坂になるが、その手前の坂下に赤坂御所の裏口がある。かれこれ30年ほど前のこと、ここを散歩していて突然警察にとめられた。 他に歩いている人はいなかったので職質かと思ったら、昭和天皇が車に乗って出てきた。天皇はわずか数m先を通って行かれた。 その翌年に崩御されたから、1987年だったと思う。

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鮫河橋坂の脇のみなみもとまち公園に上の江戸名所図会の説明板がある。 昔のこういう江戸の風景を頭に描きながらの散歩。 先ほど歩いた若葉通りを流れていた沢は、この公園あたりを葭原にして、その先赤坂御所内の池に流れ込んでいた。 その南側には大名屋敷の林立する赤坂の街。 東には弁慶堀から溜池に続く広い池が眺められただろう。

坂道探訪というのはそういう散歩だ。

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