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2016年10月31日 (月)

一口坂(千代田区)

淡路坂で一口(いもあらい)の話になったので、それに続けて同じく千代田区にある一口坂。三輪田学園の脇の道である。現在の住所は九段北4丁目だが、以前は四番町だった。坂上は市谷から九段下へつながる都道302号線側。

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坂上の東側に標柱がある。「この坂を一口坂といいます。『麹町区史』には〝一口坂の一口は大阪のいもあらいと同じくイモアライと読むべきで、電車一口坂停留所から北へ九段電話局の前を新見附に下る坂である″と書かれています。疱瘡を『いもがさ』とか『へも』と呼んで、疱瘡を洗う(治す)という意味として知られています。この疱瘡に霊験あらたかな社がどの辺にあったかということは不明です。」と書かれている。

大阪のイモアライがよくわからないが、淡路坂とはまた別の説の様な感じがある。戦前の東京市電の路面電車の頃は『次はいもあらい坂』と車内放送があり、後の東京都電になってからは『次はひとくちざか』と案内されていたという。

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坂としては魅力の薄い坂相だが、一口のエピソードがこの坂の存在価値だと思う。坂下は外堀を渡る新見附橋だが、この橋は江戸期にはなく明治になってから掛かったものである。 新見附橋の西側の土手の公園の入口の門柱が『東京市』となっているのがうれしい。戦前の産物である証拠だ。

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この辺りは探ればもっとたくさんの時代の痕跡が出てくる。歩くたびに新発見があるので面白い。

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2016年10月30日 (日)

淡路坂(千代田区)

坂道シリーズを再開。 無理のないように1坂ずつまとめてみる。 日本の中心は東京都(かも)。東京都の中心は千代田区(かも)。そこで千代田区の坂から再出発。

今日の坂は淡路坂。JR御茶ノ水駅の聖橋口を出た先から東に下るのが淡路坂。別名も多く、相生坂、一口坂(いもあらいざか)、芋洗坂、大坂とも呼ばれたことがある。相生坂というのは神田川を挟んで北側の坂と並行しているので付いた坂名。一口坂(芋洗坂)というのは坂上の駅前交差点にあった太田姫稲荷神社(おおたひめいなりじんじゃ)の元宮が由来。

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区が設置した坂道の標柱には、「この坂を淡路坂といいます。この坂には相生坂、大坂、一口坂などの別名もあります。坂上に太田姫稲荷、道を挟んで鈴木淡路守の屋敷があり、これが町名坂名の由来と言われます。一口坂は太田姫稲荷が一口稲荷と称したためです。」とある。

前述の通り一口は「いもあらい」と読む。語源の説はいくつかあるが、私は「忌(いみ)を祓う」から来たというのが一番しっくりくる。いみはらい→いみあらい→いもあらい、という説だ。京都府の久御山町に一口(いもあらい)と読む地域がある。平安~鎌倉時代にはそう呼ばれていた地域らしい。日本の地名は面白い。

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坂下の都道405号線が神田川に掛けるのが昌平橋。 ここには江戸時代寛永年間(1600年代前半)にはすでに橋がかけられていたというから歴史のある橋。 今の橋は昭和3年(1928)に架設されたもの。この橋も坂同様に、一口橋、芋洗橋、相生橋と呼ばれた時期もあった。

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昌平橋からお茶の水方面を眺めると川の上流に丸の内線の鉄橋、目の前には総武線が頭上を渡り、左側には煉瓦アーチの上を中央線が走る。 ここから秋葉原方面まではこの煉瓦アーチが続くが、これはかつての万世橋駅の名残りである。 明治45年(1912)から昭和18年(1943)までここにあった。

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再び淡路坂へ戻り、坂を上ると北側に中央線(快速)が走る。 伊達政宗が開削したこの神田川(よって仙台堀と呼ばれることもある)が時代を経て、現代でも東京の交通の要所として活躍していることは政宗には想像もできないだろう。 伊達家は1620年から5年かけて、飯田橋から秋葉原までの区間の台地を掘り起こし神田川を隅田川に流して、江戸の街を洪水から解放した。 その後1660年まで伊達家はこの川を拡幅する普請を課せられた。この深い谷を人力で開削したことを思うと、江戸時代の土木レベルは物凄いものがあると感じざるを得ない。

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