文坂と富士見坂(千代田区駿河台)
吉郎坂と甲賀坂に交差する御茶ノ水橋から内堀通りに繋がる大通りの駿河台下交差点へ僅かに下る部分が文坂。 しかしこの最後の下り坂の部分は明治末期に路面電車の道としてできた新しい道路。 なので江戸期には文坂はない。
明治大学の前の歩道の隅に石の標柱がひっそりとあるが、これは昭和50年ころに町内会で設置したものである。一応名前の付いた坂ということで拾ったが、風情は皆無だ。
文坂の途中から西南西に下る路地があるが、こちらは古い道。「富士見坂」の標柱が立っている。
「この坂を富士見坂といいます。『新撰東京図会』には、「駿河台南甲賀町の内、袋町に通ずる筋より南へ、猿楽町一丁目と小川町との間を下る坂、富士見坂と呼ぶ。風景賞すべきの地はあらざるも、遠く富士を望むを得べし富士見坂の名もこれに基しか」と書かれています。富士見坂という名の坂は千代田区だけでも3ヶ所あります。富士見町と九段の間、紀尾井町と永田町の間にあります。」
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