雁木坂(千代田区駿河台)
現在東京23区に雁木坂は二つ。 横関英一氏が1981年に出した『江戸の坂東京の坂』には4坂が載っているが、霊南坂教会傍の雁木坂もなくなり、赤坂紀州邸(現赤坂御所)内の雁木坂は当然見られない。 残るは飯倉の雁木坂とここの雁木坂のみである。
雁木とはもともと川や海から荷を揚げるために作った船着き場の階段状の部分や、城郭の中にある石垣や土塁に上るための階段をいう。 雪国のアーケード風の雪除けの屋根も雁木というが、それは別の由来がありそう。
駿河台の雁木坂はどこに坂があるかわからないくらいの微坂である。 標柱がなければ決してここが坂道だとは気づかない。標柱によると、
「この坂を雁木坂といいます。今はその面影はありませんが、昔は急な坂で雁木が組まれていたといいます。雁木とは木材をはしご状または階段状に組んで登りやすくしたもので、登山道などにみられます。『新撰東京名所図会』には〝駿河台西紅梅町と北甲賀町の間を袋町の方に行く坂を雁木坂と称す。慶応年間の江戸切絵図を見るに、今の杏雲堂病院の前あたりに「ガンキ木サカ」と記されたり″と書かれています」
とある。
高低差を表す段彩陰影図を見ると、この辺りは小さな谷になっている。 今はビルが林立して高低差が分からなくなっているが、江戸時代の切絵図を見ると雁木坂だけに階段の印が刻まれている。 この雁木坂の南側には御鷹匠頭の戸田久助1500石の旗本が住んでいた。 戸田久助は二代将軍秀忠に仕えた。 この南側の神田小川町が低くなっているのは、家康以降日比谷の埋め立てのため、ここにあった神田山を削ったからである。 古書街辺りまで江戸時代以前は山だったのである。
photo : 2016/6/18
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