帯坂(千代田区市ヶ谷)
市谷の駅の近く、日本棋院がある路地が帯坂。 現在はほとんど傾斜を感じない道になっているが昔はそれなりに傾斜があったのだろう。江戸時代は切通しになっていたらしく、切通坂の別名がある。
左のビルは日本棋院といい、囲碁の総本山。 『ヒカルの碁』全盛期にはここも聖地として訪問されたのだろうか。 しかしこの坂を帯坂というのには有名ないわくがある。 その辺については写真右の標柱に記載されていた。
「この坂を帯坂といいます。名称は歌舞伎で有名な番町皿屋敷の旗本、青山播磨の腰元お菊が、髪を振り乱して帯を引きずって逃げたという伝説によります。 また一名切通し坂ともいわれたのは、寛永年間(1624~1643)外堀普請の後に市谷御門へ抜ける道として切通されたのでその名がつけられたといいます」
しかし実はここに青山播磨の武家屋敷があったという歴史はない。歌舞伎の話は盛りに盛って創作されるのでまあそんなものだろう。日本棋院会館の向かいの自動車会館というのにも興味がわいたが、ここは自動車会館という組織が持っている会議室ビルだった。本館は芝にあり、トヨタの会長と日産の会長がヘッドを務める組織。
この道は今は路地だが江戸時代は市谷御門からまっすぐに伸びたメインロードだった。この周辺一帯には多くの武士が住んでおりどこを見ても武家屋敷という風景だったようだ。
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