五味坂(千代田区)
袖摺坂の坂上に滝廉太郎の居住地跡の説明板がレリーフとともにある。 滝廉太郎(1879~1903)は日本人なら誰もが知る作曲家で、「花」「荒城の月」「お正月」「鳩ぽっぽ」などの唱歌を多数作曲するも24年という短い生涯だった。
ここに暮らしていたのは15歳~22歳の間で、その後ドイツに留学した時期に病にかかり帰国して他界したが、ここに住んでいた時代にほとんどの名曲を作曲したらしい。滝廉太郎の住居跡は交差点の南西角だが、ここから東に下っていく坂が五味坂。 五味坂の由来は昔の南五番町と上二番町を結ぶので五二坂と呼ばれ、それが五味坂に変わったという説があるが、定説ではなく江戸の町のあちこちにあったゴミ捨て場だったことからゴミ坂、五味坂と呼んだという説もある。 坂の途中の標柱には次のように書かれていた。「この坂の名前は五味坂と言います。「ごみ」という名前から「芥坂」や「埃坂」の字をあてたり、その意味から「ハキダメ坂」と呼んだり、さらに近くにあった寺院の名から、「光感寺坂」「光威寺坂」と呼ばれ、さらに「光感寺坂」がなまって「甲賀坂」とも呼ばれたといいます。『麹町区史』には、「由来は詳らかでないはないが、光感寺が元とすれば、甲賀は光感の転化らしく、ごみは五二が転化したものではないか」という内容の説明があります。つまり坂の辺りは「五番町」で坂を上ると「上二番町」なので二つの町を結ぶ坂として「五二坂」と名前がつき「五味坂」に変わったのではないかということです。ちなみに、昭和13年(1938)に実施された区画整理の結果、「五番町」と「上二番町」は現在では「一番町」に含まれています。 ちなみに袖摺坂の通りを真っすぐに大妻女子大方面へ進むと右手に「五味坂交番」がある。しかしそこは五味坂ではない。 交番の場所が名付けにくい場所だというのはわかるが、住所に合わせて三番町交番とすべきだと思う。
五味坂は昔は傾斜のあった坂らしいが今は一部しか勾配はない。 坂をくだると右手に英国大使館の塀が見えてくる。 この塀の脇の坂のほうが魅力的な景色なのだが無名坂。「イギリス坂」とでも名付けたい気分になる。
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