中坂(千代田区)
中坂は特徴のない坂道だが、個人的な思い入れがある。 一昔前に伊豆の海で亡くなった友人が教鞭を取っていた城西大学の前の坂だからである。 最近この坂を二度ほど歩いたが、彼も歩いていたのかなと思わずにはいられなかった。
「この坂を中坂といいます。元禄4年(1691)の地図にはまだ道ができていませんが、宝永(1704~1711)以降の図を見ると町屋ができ、現在の道路の形とほとんど違いがないことがわかります。中坂の名称の由来については、はっきりしませんが、中坂を挟んで北側に町屋、南側に武家屋敷が並んでいる形を見ると、中坂の名称の起こりは案外このへんになるのかもしれません。」
とある。
坂下を左折すると平川天満宮がある。戦国時代の江戸城主太田道灌が皇居内の梅林坂の上に江戸の守護神として祭ったのが始まり。 慶長12年(1607)徳川二代将軍秀忠がそれをここに移して、平川天満宮の名に因みこの周りが平河町と呼ばれるようになった。
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