霞が関坂(千代田区)
今は官庁真っ只中、総務省と外務省の間に走るのが霞が関坂。 坂上は国会議事堂前の公園を経て国会議事堂正門。 周辺の建物は大きいが道が広いので圧迫感はない。 今は官庁街だが江戸時代は武家屋敷の並ぶ街並み。 『新撰東京名所図会』の「霞が関」には黒なまこ壁と石垣で囲まれた武家屋敷が描かれている。おそらく松平安芸守の屋敷であろう。 広島の42万石の殿様。
霞が関坂の標柱には、「この坂を霞が関坂といいます。中世の頃関所が置かれていたとされ、景勝地として古歌にもうたわれたものが多く、霞が関の名の起こりとなっているようです。江戸時代は広壮な諸大名の屋敷が建ち並んで錦絵にも描かれました。いまは霞が関というと中央官庁街の代名詞となっています。」と普通のコメントが書かれていた。
坂を真っすぐに降りると日比谷公園にぶち当たる。 江戸時代の日比谷公園辺りはもう少し低かったので、そのあたりまで坂は続いていたのだろう。 江戸城の内堀は濠から濠へ水が流れるように僅かずつ水面の標高が違えてある。 日比谷濠の水面標高は1.43m、桜田門側の凱旋濠は2.85m、皇居広場側の和田倉濠、馬場先濠は日比谷濠と同じ1.43mで、大手門の大手濠は1.87m。 内堀の水はおおむね和田倉、馬場先、日比谷の3濠に溜まって日比谷濠から最後に下水道に流される。
http://www.env.go.jp/press/file_view.php?serial=15454&hou_id=12346
濠は環境庁の管轄らしく、環境庁のHPに詳しく書かれていた(上のリンク)。
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