山王神社男坂・女坂(千代田区)
江戸三社祭のひとつ山王権現が日枝神社である。文明年間(1469~1487)に太田道灌が江戸城の鎮守として祀り、徳川家康が紅葉山(現在の皇居御所内)に社殿を建てた。その後最終的には四代家綱のときに今の場所に移された。手前事だが自分の初孫のお宮参り、七五三もここでお祝いをさせていただいた。 また明治の初めころこの辺りは牧場で、日本の牧場としては黎明期のものとなった。江戸の武士が明治維新で失業し、牧畜に転職したという面白い歴史がある。ここから日本の酪農が始まったというのは意外である。 女坂は車でも上れる道。 こちらにも標柱がある。「この坂を女坂といいます。正面の石段に対しその名が付けられています。また、別名は御成坂とも呼ばれています。『東京名所図会』には、〝左緩やかに通ずる石階を女坂と呼ぶは非なり。昔時将軍家御成りの節、峻坂を避け、此の坂のみ御通行遊ばされしにより、御成坂と申し侍るを女坂と聞き誤りしにはあらぬかと″と書かれています。」なるほど女坂ではなかったのか。 昔は車道ではなく踊り場のついた段々だったようだ。
江戸期には江戸の代表的な神社になり多くの氏子を抱えるようになった。現代になって平成12年(2000)に赤坂TBS側に巨大な鳥居と階段が作られてまるでそこが入り口のように見えるが、正しくは男坂の下の鳥居が正当な参拝口である。
男坂の階段下の脇に標柱がある。「この坂を山王男坂といいます。日枝神社の表参道、左側の緩やかな坂〝女坂″に対して名付けられています。二つの坂を比較して急な坂を男坂、緩やかな坂を女坂と呼ぶことは各地にみられます。石段の数は53。山王台地はまたの名を星が岡ともいう景勝の地でもありました。」たしかに景色はよく、赤坂側の階段に並行するエスカレーターからは首相官邸が一望できる。
| 固定リンク | 0
コメント