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2017年2月25日 (土)

明神男坂・女坂(千代田区)

神田明神の周りだけが千代田区で文京区の陣地(台地の上)に食い込んでいる。これは神田の氏子の領域と関係があり、神田、日本橋、秋葉原、大手町が氏子の区域で大部分は千代田区に属するため、神田明神も千代田区に属したのだろうと推測している。 神田明神についてはおそらく分厚い書物になるくらいの話題が転がっているので、そこには突っ込まない。

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神田明神を見上げる外神田からはかなりの高さに見える。ここは本郷大地の東の端で、かつては波打ち際だった。その後江戸時代にかけて海水面が下がり、徳川の街づくりもあって東側は賑やかな街になった。 また徳川の命により伊達政宗が堀った御茶ノ水の神田川で台地は切断されたので、外神田からのアプローチがメインルートになったのだろう。

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上の断彩図の中央の出っ張り台地が神田明神である。北側は嬬恋の沢があって、東側は台地の端、南側は神田川の峪の東端。神社としては最適な地形である。男坂・女坂はこの東側の縁に刻まれている。

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男坂の落ち方はなかなかのもの。 崖を見下ろす感じがある。 坂の上に標柱がある。「この坂を明神男坂といいます。明神石段とも呼ばれます。『神田文化史』には「天保の初年当時神田の町火消、『い』、『よ』、『は』、『萬』の4組が石段を明神に献上した」と男坂の由来が記されています。この坂の脇にあった大銀杏は、安房上総辺りから江戸へやってくる漁船の目標になったという話や、坂からの眺めが良いため毎年1月と7月の26日に夜待ち(観月)が行われたことでも有名です。」

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一方の女坂は後に作られた石段で由来などはわからない。標柱もない。かつては石段で風情が残っていたが、数年前に改修されまったく味わいのない階段になってしまったのが残念である。

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石段は趣があるがコンクリートやタイルの階段は本当に味気ない。 さらに耐久性も極めて劣る。 石段は数百年経っても使用に耐えるが、コンクリートは風化が早く数十年しか持たない。 したがって由緒のない階段はすべてつまらない階段に変わっていく。

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まあ、これも生活道路に過ぎず、千代田区の工事ではあるが予算はかけられなかったのだろう。 もし標柱が建つような坂だったら違ったかもしれない。 実は東京にはこういう階段が沢山ある。 その魅力もなかなかのもので、ぜひ探し回ってみたいといくつも歩いたが、あまりの多さにとても週末の散歩では追いつかないのである。

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