諏訪坂(千代田区)
赤坂見附というのは街の名前だが、もともと見附というのは街道の分岐点など交通の要所に設置された見張り処のことである。江戸時代には、外濠に沿っては赤坂見附、四谷見附、牛込見附などが濠を渡って内側に入るところに設置され、代表的なものをまとめて江戸三十六見附と呼んだりした。 実際の赤坂見附は赤坂プリンスホテルのあった場所の南側にある。
写真の標柱の裏には次のように記されていた。「左側にある石垣は、江戸城外郭門のひとつである赤坂御門の石垣の一部です。江戸城の門は、敵の侵入を発見する施設であるため、「見附」とも呼ばれ、二つの門が直角に配置された「枡形門」の形式をとっています。詳しい説明は右に坂を登った角にある説明版に記されています。」
角を曲がるとそこが諏訪坂。 標柱には、「この坂を諏訪坂といいます。『新撰東京名所図会』には「北白川御門より赤坂門のほうに下る坂を名づく。もと諏訪氏の邸宅ありしを以てなり。」と記されています。道路の向かいの都道府県会館の敷地には、江戸時代に旗本諏訪家が長期間屋敷を拝領していました。また別名を達磨坂といいますが、旧北白川邸が紀州藩邸だった頃、その表門の柱にダルマに似た木目があったため達磨門といわれ、その門前を達磨門前、坂の名も達磨坂と呼ばれたためです。」とある。
赤坂プリンスは大正時代までは宮家である北白川家の屋敷、江戸時代は将軍吉宗を輩出した和歌山の紀伊家の屋敷だった。隣の弁慶濠側は井伊家、その北側が尾張家という大大名の屋敷が並んでいたわけである。前述の紀尾井坂はその御三家の頭文字をとった名前だというのは前に書いたように思う。
<2016/2/14 散歩>
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