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2017年2月18日 (土)

三年坂(千代田区霞が関)

霞が関三坂の最後は三年坂。 官庁街を皇居側から霞が関坂、潮見坂、三年坂と並ぶ。 三年坂というのは大体転んだら三年以内に死ぬというような言い伝えがある。 横関英一氏によると、三年坂はもともと三念坂で近くに墓や寺があるようだ。

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この三年坂、坂上から見ると(上の写真)左が財務省、右が文部科学省。 寺などないと思うが、明治初期の地図を見るとこの辺りは三年町という地名で、鳥居のマークもある。さらに江戸期の地図を見ると、虎ノ門辺りは溜池でその畔、つまり文科省辺りにはたくさんの寺が並んでいる。 明治以前、ここは寺町だったのだ。

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坂の標柱には、

「この坂を三年坂といいます。『新撰東京名所図会』には「三年坂は潮見坂の南に隣れり、裏霞が関と三年町の間の坂なり。坂を登れば是より栄螺尻とす」 「又淡路坂とも言い一に此処を陶山が関という」とあり、さらに栄螺尻の項目では、「裏霞が関と三年町の間、道路の盤曲する所をさざえしりと呼び、虎ノ門より永田町に出る裏道なり、曲り曲りたる境の名なり、亦此の辺鶯多し、因って鶯谷というよしみえたり」と書かれています」

とある。

栄螺尻(さざえのしり)というのは隠語で、(一)心の曲りたる人を罵り云ふ語。(二)世間と交際せざる狭き社会を云ふ。さてこの標柱の意味が分からないが、江戸期は道がくねっていて今のようなまっすぐな街路ではなかったのだろう。

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