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2017年2月27日 (月)

桂坂(高輪)

高輪台は国道1号線である桜田通りと国道15号の第一京浜の間にある南北に長い丘陵地である。江戸時代は東海道(今の第一京浜辺り)が主要街道になったが、元々は尾根筋の二本榎通りが古道であった。高輪署前の公園に二本榎の由来の説明板がある。

「その昔、江戸時代に東海道を日本橋から来て品川宿の手前、右側の小高い丘陵地帯を「高縄手」と呼んでいましたが、そこにある寺に大木の榎が2本あって、旅人のよき目標になっていたそうです。誰いうとなくこの榎を「二本榎」と呼ぶようになりました。それがそのまま地名になって続き、榎が枯れた後でも地名だけは残りました。戦後地番変更で高輪何丁目などと地名は変わりましたが、榎は幾度となく新植、移植が行われ、町の大切な象徴になっています。」

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近代になってこの二本榎の交差点には写真手前の警察署と向こう側の消防署ができた。この二本榎出張所(旧高輪消防署)の建物は、ドイツ表現派の歴史的建造物で2010年に東京都選定歴史的建造物に指定された。 火の見櫓からは東京の海が見渡せたと伝えられるが今は無理である。この消防署と警察署の間から下るのが桂坂だが、大正以前はここからではなく、もう少し三田よりの路地からクランクして東海道に下って行った。

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左手に野村證券研修所の石垣、右手に東芝山口記念館の石垣とお屋敷を眺めながらまっすぐに下っていく。 東芝山口記念館は今問題山積の東芝の迎賓館の役割を持った洋館で、大正時代の建築である。こういうのは真っ先に資産処分されるのだろう。しかし、東京に残る戦前の屋敷はできるだけ文化財として残してほしい。どうせ人口は減るのだから、味気ないマンションを林立させるような無粋なことはしないほうがいい。

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桂坂は下から見上げるほうが姿がいい。 残念ながら坂の上のその先には、桜田通り沿いにある高層マンション「高輪ザ・レジデンスのタワー棟」が視界に入る。 とはいえ坂の両側の石垣と木塀は風情を残していて、車で通るのはもったいない坂道である。坂の上下に標柱がある。「むかし蔦鬘(つたかずら・桂は当て字)がはびこっていた。かつらをかぶった僧が品川からの帰途急死したからともいう。」

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坂下には高輪海岸の石垣石が残っている。 当時はこの辺りが海岸線だったようである。明治初期の地図を見てもまさにこの辺りが海岸線で、その少し沖を鉄道が走っている。明治の時代には鉄道を通すと伝染病が渡ってくるとか様々なデマが流れて街道筋や街に鉄道を通すことができず、新橋横浜間も海の中を走るところが多々ある。

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