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2017年2月 9日 (木)

貝坂(千代田区)

見た目は取り立てて坂名をつけるほどの坂ではないが、道は江戸時代からある道である。明治初期の地図を見ると、坂下にはたくさんの池があり、湧水があった可能性が高い。 麹町の新宿通りから3本目の辻から下り坂が始まり、ホテルルポールの裏口辺りで傾斜は終わる。左手には城西大学のビルがある。

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少しくねりながら下っていくのは江戸時代の道だからだろう。近代の道はとにかくまっすぐに作りたがる。坂上の麹町スタジオの角に標柱が立っている。

「この坂を貝坂と言います。『江戸名所図会』には「この地は昔より甲州街道にして、その道の傍らにありし一里塚を土人甲斐塚と呼びならわせしとなり。ある説に貝塚法印といへるが墓なりともいひて、さだかならず」と書かれていますが、貝塚があったというのが現在定説になっています。」

とある。

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興味深いのはこの貝坂のくぼみはこの辺りだけのもので、東に向かって下り、桜田濠に落ちる。 そして江戸期の地図には多数の池がある。 という事はこの辺りの水源地だったのではないだろうか。江戸より以前の地図を探してみたくなった。

(追記)

坂上標高は31m、最も低いところが24mで、南の国道246側に進んだ砂防会館前が28mと、薬研状をしている。 ここは皆川典久氏のいう第1級のスリバチになっているようだ。いささか疑問なのは、貝塚のある坂というのに、東京都の遺跡情報には出てこないこと。ただ一帯は江戸遺跡には指定されているので、貝塚はその下になるのだろうか。 いずれにせよ貝塚は旧石器時代や縄文時代のものだから、内堀や溜池は確実に海だった。

<2016/2/14 および 2017/1/21>

追記)2018/12/31

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