新富士見坂(南麻布)
営団地下鉄日比谷線の広尾駅から外国人で賑わうナショナル麻布スーパーマーケット側に進み、変形の丁字路を右に入ると道の曲りの所に広尾稲荷神社がある。この稲荷は弘化2年(1845)に青山から麻布一帯を焼いた青山火事によって社殿を焼失、しかし2年後に再建された。
その際に拝殿の天井に描かれたのが高橋由一の描いた『広尾稲荷拝殿天井墨龍図』。狩野派の流れをくみながら近代洋画最初の画家だった高橋の水墨画は天井から気を降り注ぐように感じられる。
広尾稲荷を出ると隣には三基の庚申塚がある。元禄時代(1600年代後半)のもの。広尾は江戸時代にはまだ江戸郊外の様子だった。広尾稲荷は江戸後期の古地図には富士見稲荷という名で書かれている。この地の南には渋谷川(古川)が谷を刻み、西にはその支流の笄川が窪地を形成している麻布台地の南端で、西南西向きの坂からは富士山が望めたはずである。
新富士見坂は「新」と付くだけに比較的新しい坂である。坂の標柱には、「江戸時代からあった富士見坂(青木坂)とは別に明治大正頃に開かれた坂で、富士山がよく見えるための名であった。」とある。坂はクランクして登っていくが、上の角の手前に古い欄干があるが、ここに沢があった形跡はないので、もしかしたら富士を眺める人が落ちないように大正以降に設置されたのかもしれない。
江戸時代の古地図を見ると広尾稲荷(富士見稲荷)は裏手の傾斜地まで広がっていたようである。台地の上から稲荷に入る道もあったので、稲荷の裏手の高台から富士を望むことは十分できたに違いない。
坂を上りきると高級な住宅が広がる。広尾駅東側一帯有栖川公園以南は今でこそ南麻布の住所だが、昭和41年(1966)までは麻布富士見町だった。北側の一角は現在ドイツ大使館、そして南側にはフランス大使館があるだけに洋風な雰囲気も濃く、それでいて江戸時代の大名の下屋敷の雰囲気も残した魅力的な異国情緒が感じられる。
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