日東坂(日糖坂)
明治坂上から急坂の新道を下って外苑西通りを横切りそのまままっすぐに進むと日東坂の坂上に出る。 坂上に標柱がある。「日糖坂ともいい、日東紡あるいは日本製糖の用地があったからと伝える。大正初年に開かれた坂と推定される。」と書かれている。
景色はどこにでもある直線の坂道である。ただし白金自然教育園の真裏の道なので木立が視界に広がり、野鳥の声も響いて気持ちのいい環境ではある。 自然教育園は戦前は白金の御料地だったが、それ以前の明治時代は海軍の白金火薬庫だった。
江戸時代は高松藩の松平讃岐守の下屋敷が概ね白金自然教育園の敷地で、日東坂の周辺は松平和泉守(今の愛知県の西尾藩)の下屋敷だった。 白金台の辺りは江戸の町の中では本当に外れにあたり、そこから先は田畑と野原だったようだ。
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