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2017年3月 9日 (木)

蛇坂(三田)

慶応大学三田校舎の前を白金方面へ進む。都心には似合わないケーヨーデイツー三田店の手前の路地が蛇坂の入り口。 桜田通り側の入り口と坂の途中のクランクのところに標柱がある。ここの説明も幼稚園児並みだ。「付近の藪から蛇が出ることがあったためと想像されている」とだけ書いてある。 手抜き息抜きごぼう抜きな標柱だ。

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江戸時代、慶応大学の敷地は松平主殿頭の屋敷、深溝(ふこう)松平家で三河の国、今の愛知県の幸田町の殿様。国替えを何度かして江戸末期は島原藩を治めた。 その北側のイタリア大使館も松山藩の松平隠岐守の屋敷だった。大名屋敷だったところはそれなりに面積のある施設に変わっていることが多い。

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蛇坂の坂上は安全寺坂の坂上とつながっている。 桜田通り側の崖が急である。 この地区は寺また寺の寺町だったが、今もいくつもの寺が残っているが、寺も厳しいのだろう。写真は西蔵院の裏の墓地だが、蛇坂側から下る階段も荒れ果ててしまっている。

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坂上からは、普連土学園の近代的な渡り廊下の下の公道を通ると潮見坂に出る。この3つの坂の道のつながり方は江戸時代とは変わってしまった。江戸時代は、潮見坂がまっすぐに伸びて丁字路、右へ行くと安全寺坂、左へ行くと蛇坂だったようだ。

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