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2017年3月27日 (月)

仙台坂(麻布)

仙台坂と呼ばれる坂は、大井町とここの2ヶ所。どちらにも松平陸奥守(伊達政宗)の下屋敷があったため仙台坂と呼ばれる。大井町の方は別のところで詳しく説明する予定。一方こちら麻布の仙台坂は一直線の坂で、交差点にも「仙台坂上」「仙台坂下」と始終が明確になっている。

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坂下は古川の二の橋。坂上は麻布台地の尾根筋にあたり、南下すると薬園坂、西進すると南部坂、北進すると麻布の坂のメッカである一本松の辻に至る。坂の途中には韓国大使館が大名屋敷れえるの敷地で広がり、辺りは警察又警察。歩きにくいこと甚だしい。この韓国大使館の土地をさらに広げたエリアが伊達政宗の屋敷だった。

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明治維新後、仙台藩下屋敷は茶畑の広がる農園風景に変わったが、その一角にあった松方家が明治の後半にはそのほとんどを所有することになった。松方正義である。薩摩藩出身の松方は第4代内閣総理大臣となり、その後第6代で第二次内閣を結成している。初代大蔵大臣でもあり、財政政策で有名。戦後は在日韓国人により買い取られ韓国政府に無償貸与、東京五輪後に日韓基本条約が締結されて国交回復、正式に大使館となった。

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坂下に麻布山入口という交差点があるが、この麻布山というのは善福寺のこと。善福寺は824年空海による開山と言われる古刹。その後鎌倉時代には親鸞により浄土真宗の寺に変わり、代々の天皇や幕府に保護されてきた。開国でやってきたハリスもここに最初の米国公使館を設置したが、その歴史を見下ろしていた善福寺の逆さ銀杏が私にとっての主役である。東京大空襲では本堂が全焼したが銀杏は焼けても健在で今に至っている。樹齢は750年以上というから、空海や親鸞の時代には届かないが、江戸時代にはすでに大木だったはずである。この寺にはかつて部下だった男も眠っているので、毎年のようにお参りしている。

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