名光坂(白金)
国道1号線桜田通りの白金台辺りはその昔、葦原の中に沢の流れる風景だった。今の高輪台駅辺りを源頭にして古川橋辺りに流下していたと思われる。この沢が白金台と高輪台を分けているのである。
坂名の由来は石川悌二氏の『江戸東京坂道辞典』によれば、「この辺りがむかし蛍の名所で、名光の地名になったことによる」とある。その情報元は『府内備考』の記述からのようだ。名光のが転じて、なこう坂とよばれ、また那光坂とも書かれた。
現在は片側4車線に広い歩道付きの大通り。 さすがに国道1号線である。しかし江戸時代は寂しいところで、1800年代半ばでも葭原と樹木に覆われた谷で樹木谷と呼ばれた。それ以前は、地獄谷とも呼ばれたが、それはそういう寂しい場所だったので斬罪場(首切り処刑の場所)にもなっていたためのようだが、江戸後期には地獄谷とは呼ばれなくなったようだ。
坂下の白金高輪駅上から国道1号線の桜田通りは魚籃坂を経て慶応大学方面へと方向を変える。 この交差点に古風な町屋が残っている。 人の出入りもありそうだが、調べてみると田中吉左衛門商店の所有となっている。三の橋にはまだこの会社の店舗があるようだ。
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