三光坂(港区白金)
三光坂は白金台の坂である。亡父が戦前に一時東京で暮らしていた時に恵比寿の豊澤町の親戚に居候をしていた。天現寺から渋谷の宮益坂まで都電で渋谷に映画を観に行っていたらしい。豊澤町は今の都立広尾病院の辺りである。また彼の行動範囲は白金三光町の方にも広がっていたらしく、そっち方面の話も聞いたものだ。 三光町には友人がいたようなことを言っていた。
その三光町の通称バス通りから上る急坂が三光坂である。 港区の標柱は、「本来は坂下専心寺にあった三葉の松に基づき三鈷(さんこ仏具)坂だったというが、日月星の三光などという。」と意味の分からない説明で閉口した。 もっとも10%の勾配というのは大した坂ではないが、ここは見通しもよく風情を感じる。
標柱の解説を紐解くと、坂下には氷川神社と並んで専心寺という寺があり、そこには珍しい松があった。普通松の葉は2本だが、ここの松は3本(三葉)の老松だったという。三代将軍家光が鷹狩りでこの寺に立ち寄った折、この松を愛でて三鈷松と名付けたという。三鈷というのは三又の仏具のことだが、その三鈷に因んだ三鈷坂が転じて三光坂になったという話のようである。
三光坂を上りきると左側に延々と続く風雅な塀が現れる。門構えも随分と立派で皇族の館の雰囲気がある。 調べてみると服部家の屋敷だったようだ。服部家というのは時計のSEIKOの創始者である。 敷地は17,000平米ある。戦後GHQに奪われたが、その後セイコーが210億で買い戻した。しかし2014年にシンガポールのディベロッパーが305億で取得したらしい。庶民には縁のない話だ。
服部邸の裏側に魅力的な坂道がある。 日吉坂のときに書いたあの坂道である。ここは宿題になったという隠れた無名の名坂。 この辺りをまたゆっくりと散策したいと思う。
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