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2017年3月 6日 (月)

聖坂(三田)

二本榎通りは高輪台から三田台地にかけての背骨である。三田台地というのはいささか大げさかもしれない。 慶応大学のある島に向かって伸びた半島の首が桜田通りのところでほぼ海水面近くまで標高を下げる、この最後の下りが聖坂である。

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この半島を作ったのは古川(渋谷川)だ。 北海道の川の流れを見ると曲がりくねっていて、所々に三日月湖などを形成しているが、この東京でも似たことが文明以前には起こっていたわけである。慶応大学の南側の桜田通りのくびれはどうしてできたのだろう、そういう事を考えるのが面白い。

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区立三田中学校辺りから下り坂が始まる。 長い直線の坂である。 坂の上と下に標柱がある。「古代中世の通行路で、商人を兼ねた高野山の僧(高野聖)が開き、その宿所もあったためという。竹芝の坂とよんだという説もある。」と港区の標柱にしてはしっかりと書いてある。古代中世の通行路というのは二本榎通りである。江戸時代以前の東海道は丸山古墳のある芝公園から桜田通り沿いに南下、慶応大学のところでは曲がらずその先の三田三丁目から聖坂へと通じていた。

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江戸時代の坂道を歩き回っていると、さらに古い道に出くわすことがある。 徳川は五街道を整備した。東海道、甲州街道、中山道、日光街道、奥州街道である。しかしそれ以前にも道はあちこちに続いていた。もちろん京都中心の時代だから、東京は東国の秘境。また鎌倉時代にはいざ鎌倉と駆けつけるために整備された道があり、関東のあちこちに鎌倉街道という名の通りがあったりするから面白い。

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