魚籃坂(港区三田/高輪)
首都高速2号目黒線が古川の流れに沿って北上する古川橋から南に少し行ったY字路の交差点が「魚らん坂下」その先の桜田通りとの交差点が「魚籃坂下」。同じ名前だが道路標識の名称が漢字と仮名で違っているのが面白い。桜田通りを過ぎて二本榎通りとの交差点「伊皿子」までが魚籃坂である。
標柱の説明は、「坂の中腹に魚籃観音を安置した寺があるために名付けられた」と極めてシンプルな文章のみ。 魚籃観音があるのは魚籃寺である。寺の創設は承応元年(1652)。江戸の絵図には「魚籃観音」とある。魚籃坂から慶応大学三田校舎の辺りまでは、寺町だった。その南の端が魚籃観音だ。「魚籃」というのは魚を入れる籠のことである。
伊皿子の交差点から魚籃坂を見下ろすとその彼方には六本木ヒルズがそびえている。坂の中ほどに昭和期には魚籃坂病院という病院があった。この病院と魚籃坂をモチーフに書かれたのが横溝正史の『病院坂の首くくりの家』と言われている。 古い昭和の地図では病院だが今は中くらいのマンションになっている。 奇しくもその位置は標柱の場所だった。
| 固定リンク | 0
コメント