蜀江坂(白金)
聖心女子高の裏手からまわり、塀沿いに進むとクランクがある。ここから先が蜀江坂である。 名前の由来は標柱によると、「坂上の丘を紅葉が美しい中国の蜀江にちなんで蜀江台と呼んだことからつけられた。昔の字名は卒古台であった。」とある。
明治時代の地図にはすでに聖心女子学院があり、蜀江坂の坂名も記載されている。 江戸時代は茶畑に囲まれたエリアだが一番高いところに蜀江臺の記載がある。写真のクランクから坂は下りになる。
坂の勾配に合わせて段々になった聖心の塀が美しい。 やはりコンクリートではなく煉瓦、さらに木塀、最高なのは石積みの塀だろうか。 煉瓦の中では相当にいい景色の坂である。昔は丸いコンクリート舗装(真空コンクリートパネル舗装)だったがいつからかアスファルトに変わってしまったのがいささか残念である。
坂下になると勾配は緩やかになり、間もなくバス通りに出る。 出たところは北里研究所の病院である。 最近行った時には大村智氏のノーベル賞を祝った垂れ幕が沢山かかっていた。
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