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2017年4月27日 (木)

一本松坂(麻布)

一本松坂の一本松は平安時代から引き継がれた名木である。天慶2年(939)、平清盛を攻めた源経基はその帰路ここにあった民家に泊まった。翌日来ていた装束を松の木にかけて出発したという言い伝えがある。それで冠松とも呼ばれた。

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江戸名所図会にもこの松のある辻が描かれており、麻布一本松という題になっている。絵を見る限り今よりもにぎわっていたかもしれない。茶店もある。4つの坂(暗闇坂、大黒坂、狸坂、一本松坂)の辻という稀有な条件で、今で言うと六本木交差点みたいなものか。また電話ボックスがあるのが今日となっては珍しい。

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昭和20年に建てられた一本松の由来を記した石碑がある このわきにある松を囲む医師の土台には、「世話人、若者、安政2年」とあり、名前が4人掘りこんである。安政2年は1855年だから江戸末期に組まれた石囲いか。

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一角の藪の中に一本松と堀った石柱がある。この年代は不明。1000年以上もの間、枯れると新たに植えられ、人々に親しまれた松である。 江戸初期には家康が関ヶ原の戦いから持ってきた首級(しるし)を検分した場所で首吊塚と呼ばれたらしい。さらにもっと昔は古墳だったという話もある。

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標柱には、「源経基などの伝説をもち、古来、植え継がれている一本松が坂の南にあるための名である」とだけ記されている。確かに植え継がれて三代目とも五代目ともいわれている松だが、1000年を超える歴史を持つ辻として、数え切れいないほどの人々を見てきたのだろうと感慨深いものがある。

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