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2017年4月 1日 (土)

市三坂(六本木)

六本木一丁目のY字交差点から六本木交差点に向かって六本木通りを進むと、意外な上り坂になる。 大通りなのにそこそこの傾斜で上る。 溜池に流下する沢は数本あった。最も南側にあったのが、この市三坂の沢筋。 残念ながら江戸時代の坂道ではなく、明治以降に開かれた坂である。

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上の写真は六本木一丁目交差点から撮影。 途中から急に上り坂になっているのがわかる。 この筋は江戸時代の切絵図には「谷丁」と書かれている。おそらく「たにまち」と読ませたのだろう。 谷筋の町屋と寺の寂しい街だったようだ。 江戸時代の道は一本北側の真田屋敷下の南部坂下の路地が本道である。

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標柱には次のように記されている。「明治20年代に開かれた坂。名主の名がついた市兵衛町と松平三河守忠直邸のあった三河台町との間で両頭文字をとった。」とある。松平三河守は越前福井県の藩主。三河台はその名を前述の江戸時代の路地が市三坂に斜めに出合うところに区立三河台公園の名前で残っている。

この坂の北側には真田信之(幸村の兄)の屋敷があったが、松平三河守忠直は真田幸村に大阪城冬の陣で辛酸を舐めさせられたのち、夏の陣では幸村の首をとった武将。何となくこの二人が近くにいたことに徳川の意図を感じる。

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