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2017年4月 4日 (火)

閻魔坂(六本木)

丹波谷の最奥の坂が閻魔坂である。不動坂に記載したように、この墓地の辺りには尾張屋版の切絵図(1861)では浄円寺、崇岸寺があった。その20年ほど前の古地図でもその2寺だが、閻魔坂の由来はそこに崇巌寺という寺があり、そこ中の閻魔堂に因んだものとされる。

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現存の六本木墓苑は、戦後の道路拡張で正信寺・深広寺・教善寺・光専寺・崇巌寺の浄土宗五ヶ寺の墓地を常巌寺の跡地に集約した共同墓地。しかし今六本木にあるのは六本木交差点の北西にある光専寺のみだと思う。浄円寺と崇厳寺は戦災で焼失して復興されていない。六本木の極めて高価な地価のエリアにかなり広い墓苑があることは面白い。

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江戸時代はこの墓苑よりも六本木交差点側の一角は宮崎県延岡藩の内藤能登守の中屋敷だった。当時はこの辺りの崖は急で、その地形の名残りが閻魔坂の途中の北側にある階段に見て取れる。街が街なので、早朝に行かないと人通りが増えるが、早朝は逆にゴミが散乱していてあまりいい気分でないから、できれば正月2日くらいでないと静かな風情を感じることは不可能かもしれない。

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閻魔坂は外苑東通りに出る直前で急に勾配を上げる。不動坂の池の悪蛇の話などを想像するに、この坂下の墓苑辺りには湧水があったに違いない。裏の六本木三丁目公園辺りから、眼下に広がる墓苑を眺めているとそんな江戸時代の景色が瞼裏に浮かんでくる。

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