鳥居坂(麻布)
鳥居坂は江戸時代の麻布の幹線道路。江戸切絵図にも大名屋敷町から麻布の低地へ下るおなじみ道筋で、階段の絵図になっている。鳥居坂の坂上西側は京極壱岐守、讃岐国多度津藩の大名。一万石の大名でもこれほど広い屋敷なのかと感心した。国際文化会館とZEPP東京の敷地を合わせた広さのおよそ1万坪ほどはありそうな広さである。
明治になってからはその屋敷の南側の一部が長州藩士出身の井上馨邸となった。現在マンションになっている坂の西側である。井上は伊藤博文と共にイギリスに留学し、後の伊藤内閣で外相・内相・蔵相であった。
その後、明治45年に海軍との商売で財を成した赤星家が所有したが、関東大震災で倒壊した(その後赤星邸は吉祥寺に移転)。震災後は三菱財閥の岩崎邸となった。現在に残る庭園は岩崎邸時代のもの。坂は道幅が広いものの、急坂で積雪時は坂下の信号で止まりきれないだろう。
坂の上下に標柱がある。
「江戸時代のなかばまで、坂の東側に大名鳥居家の屋敷があった。元禄年間(1688~1703)ころ開かれた坂である。」
と記されている。鳥居氏は徳川の家臣で最も反映したのは出羽山形藩の24万石時代。その後改易(身分はく奪)され小大名として転々とした。現在の坂の東側はシンガポール大使館になっている。
坂下の鳥居坂下交差点の角は階段になっていて、歩行者が歩きやすいように作られている。それだけ勾配がきついという事で、坂の上下で13mの標高差があるが、それを100mほどの距離で下るので、10%以上の勾配という事になる。切絵図で階段になっていた理由がよくわかる。
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