あひる坂(麻布)
鳥居坂を下りきると環状三号線の大通り。青山一丁目の南で二手に分かれるが、本来の主要道筋は尾根筋を走り六本木交差点を通る外苑東通り。 一方でその外側の谷筋を走る六本木ヒルズ脇を抜ける環状三号線も外苑東通りと呼ばれる。どちらも都道319号線である。 しかし江戸時代の主要道は尾根筋側。 当時は六本木交差点から芋洗坂を下り、鳥居坂下から一の橋に下る谷筋の道は幹線ではない町屋の道だった。
坂の位置関係からいうと、鳥居坂の一部に思える。江戸以前は麻布十番の商店街筋は川だったはずである。六本木交差点辺りから芋洗坂沿いに流れていた吉野川が北から流下し、ヒルズのある毛利屋敷辺りからも別の川が流れていた。 そのあたりの地形は下の地図でよくわかる。
麻布十番は上の地図のあひる坂のさらに南になるが、江戸時代からにぎやかだったようだ。 あひる坂傍の更科堀井は寛政元年(1789)創業で、永坂更科布屋太兵衛と同時期だが、どちらも同じルーツ。 「更科」という名前は、蕎麦の産地である信州の更級と、布屋太兵衛が仕えていた保科家の一文字を取ったもの。ごたごたしたお家騒動みたいなことから今は3軒の「更科蕎麦発祥」の店ができてしまった。
あひる坂の坂下にあるのが「総本家更科堀井」、スターバックスの辻にあるのが「永坂専科布屋太兵衛」、そして新一の橋交差点の北側にあるのが「麻布永坂更科本店」。 ゴタゴタした歴史はあるが、今は果たしてどういう関係なのだろうか。
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