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2017年4月 3日 (月)

不動坂(六本木)

丹波谷坂の南隣の路地である。勾配はなぜか丹波谷坂よりも緩く感じられる。坂名の由来は坂の中腹に五大山不動院があるためだが、この不動院はもともと平河町にあった。それが1658年に現在の場所に移転してきたという歴史がある。江戸御府内八十八ヵ所霊場第六番の札所。江戸に八十八ヵ所の霊場があることに興味がわく。もっとも寺は戦災で焼け位置が変わっている。もとは坂下にあった。

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寺院は茶色のビルになっていて寺のイメージはない。極めて近代的な建物だ。一方五大山という呼び名の5寺はどこだろうかと気になった。五色不動を調べてみると、目黒不動(瀧泉寺)、目白不動(金乗院)、目赤不動(南谷寺)、目青不動(教学院)、目黄不動(永久寺または最勝寺)らしい。ここの不動院は江戸時代に目黄不動として親しまれた。伝説としては、沼地に悪蛇がいて近隣住民を悩ませていた。中興開山(衰えた寺を復興する人)である玄海法印が七日七夜の祈願をすると蛇の死骸が浮き上がったという話がある。

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古地図には坂下の現在六本木墓苑になっているあたりに池があったようだ。不動坂の坂下は人ひとりがやっと通れる道幅の階段になっている。その狭小路地を抜けると目の前には共同墓地が現れるが、ここはかつては浄円寺、崇岸寺があった。その二寺は六本木から飯倉に抜ける通り(外苑東通り)から出入りしたようだが、江戸時代はそちらの通りを六本木通と呼んだ。今は首都高速下が六本木通りなので、何時頃から変わったのか興味深い。

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