紺屋坂(西麻布)
テレ朝通りから外苑西通りに下る大横丁坂と北条坂の間に江戸時代からの坂が二つある。 北側の坂が紺屋坂である。別名を芥(ごみ)坂という。この界隈は切絵図には三軒家丁となっているが、元禄9年(1969)に3人の地主が町家を開いたのでそう呼ばれた。
紺屋坂の坂上は拡幅したいのかしたくないのか分からない中途半端な道になっている。下りきると右そして左にクランクしている。坂下にゴミ捨て場があったので、芥坂と呼ばれたらしい。坂上の中華人民共和国大使館は江戸時代は植木屋となっており、その後対象に入るころには東京市長にもなった後藤新平の屋敷になった。関東西震災前の地図には後藤邸と記されている。 昭和8年に満州国大使館になったが、その流れで中国大使館になったと思われる。
上の写真はクランクの下の坂。 クランクの所にも警察官が張っていた。路地が死角にならないようにそれぞれの角に配置しているようだ。 それが必要なことだとは全く思えないが。紺屋坂の由来は紺屋が一軒あったことらしい。紺屋はこうや・こんやとも読むが、もとは藍染職人のことだった。江戸時代には染物全般を紺屋と呼ぶようになった。「紺屋の白袴」という言葉があるが、他人のことに忙しくて自分自身のことには構っていられない様子をいう。
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