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2017年5月 4日 (木)

九郎九坂(赤坂)

九郎九坂(くろぐざか)は赤坂豊川稲荷の東側を赤坂御所に向かって下る坂。 豊川稲荷は愛知県の豊川稲荷の直轄の東京別院だが、元は一ツ木通りの大岡越前守忠相の屋敷にあった豊川稲荷の分霊を現在の地に移転し祀っている。

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大岡越前の屋敷は牛鳴坂の江戸城側、現在一ツ木通りが青山通りにぶつかるあたりの西側の一角だったから、現代風に言うと青山通りを渡っただけである。牛鳴坂下にある羊羹のとらやは創業が室町時代の1500年だから、隣近所の好(よしみ)で大岡越前も買ったことだろう。

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豊川稲荷はそのとらやのほぼ真向かいだから、元の九郎九坂はもう少し長かったかもしれない。 坂の上下に標柱があり、「江戸時代の一ツ木町名主秋元八郎左衛門の先祖、九郎九が住んでいて坂名になった。鉄砲練習場があって鉄砲坂ともいう。」とある。 江戸末期の地図には定火消御役屋鋪とあり、今でいう消防署があったところが豊川稲荷である。

となると豊川稲荷はいつからあるのかという疑問にあたるが、それは明治20年のことらしい。愛知県の豊川稲荷を信仰したのは今川義元、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と軒並みトップの支持を受けた。 大岡越前が分祀していたのもわかる気がする。

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別説には大正期に赤坂小学校(青山通りにあった)を創設するにあたり、南側にあった稲荷を現在の場所に移したというのもある。

今の赤坂小学校は赤坂通りを少し乃木坂方面に行ったところにあるが、元は青山通り沿いにあった。ここにはこれから国際医療福祉大学赤坂校舎が建てられる。 桧町に知人がかつて住んでいたが、その頃は赤坂小学校、桧町小学校、氷川小学校があった。それが1993年に統合された。俳優の神田正輝は旧赤坂小学校出身である。 江戸時代以降赤坂の街の変化は激しすぎる気がする。

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