三分坂(赤坂)
赤坂と言えばTBS、その裏手にある有名な坂が三分坂。さんぶんざかと読む。サカス前の赤坂通りを乃木坂に向かって進むと、赤坂五丁目交番の角から坂と急斜面の緑がみえる。
三分とは江戸時代の貨幣の重量単位で、銀1匁(もんめ)の3割のことをいう。今だといくらだろうか。おそらく300円くらいだろうと思う。この先の三分坂を上るのに、車を後押しする人足の割り増し、あるいは荷揚げの料金と言われており、それが坂の名になった。
なかなかの勾配だが上り下りする人の数は意外に多い。 江戸時代も今も重要な坂なのである。 坂上の東側のTBSの敷地は、江戸時代は広島県の広島藩藩主の浅野家(松平安芸守)の中屋敷だった。 忠臣蔵のあの浅野内匠頭の浅野家である。
坂下の報土寺には江戸時代の最強力士雷電為衛門の墓がある。天明・寛政年間(1781~1801)に相撲界に伝説の時代があった。谷風、小野川、そして雷電の三大関(当時は大関が最高位)が大活躍した。雷伝は初土俵でそのまま優勝してしまう。なんと身長は197cm、体重は169㎏というから、マッチョな曙くらいの体格を想像すればいいだろう。21年の在位の間、勝率96%、優勝27回という桁外れの力士だった。顔はどっちかというと片岡千恵蔵風のいかつい顔だったようだ。
報土寺は雷電で有名だが、この練塀もとても有名だ。これだけの練塀が坂道にあるのはなかなか珍しいし、これだけ残っている場所は少ない。記憶では増上寺の塀が同じ感じだった。 今になっては江戸の建築技術を伝えるものとして極めて貴重な建造物と言えるだろう。
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