薬研坂(赤坂)
青山通りの赤坂区民センター脇から下って上り、TBSの裏手に向かう道が薬研坂。 薬研というのは、漢方薬を製造する際に薬種などを細かく砕くために使う舟形をした真ん中がくぼんだ道具。 江戸時代のものは下の写真のような形である。
両坂上に標柱があり、「中央がくぼみ両側の高い形が薬を砕く薬研に似ているために名付けられた。付近住民の名で何右衛門坂とも呼んだ。」とある。 どんなに文明が進化しても地形を変えることは困難だという事がわかるように、現代でも見事にその薬研の形のままである。
昔はこの凹みの部分に小さな水流があって薬研谷と呼ばれていた(地形については円通寺坂を参照)。昨今雑誌でよく記事を書かれている皆川典久氏が東京スリバチ学会を発足したきっかけはこの薬研坂の谷だったという。眺めといい微妙な曲がり方といい、坂の最高傑作のひとつかもしれない。
別名の何右衛門坂というのがまた面白い。赤坂の火消人夫であった何右衛門という男が、喧嘩で頭を殴られて気が変になった。かれがこの坂の付近に住んでいて、江戸で有名になるにつれて、当時は口コミの世界だったので、名前も吉右衛門とか善右衛門とか呼んでいるうちに何だか分からなくなってきて何右衛門となったという。 いい加減さが江戸っ子らしくて面白い逸話である。
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