円通寺坂(赤坂)
赤坂周辺の地形を断彩陰影図で見ると下のようになる。 実は結構入り組んでいて、江戸以前はいくつかの沢が流れていたのだろうと思われる。茶色の線が名前のある坂道。
断彩陰影図の真ん中にあるクランクの坂が前述の三分坂。そのすぐ北側の直線が円通寺坂だ。 元禄8年(1695)に円通寺が近くの別の場所(三分坂の上あたりらしい)で火災にあいここに移転してきた。日蓮宗の寺院。
三分坂の尾根筋の通りから円通寺の通りに入るとすぐに標柱があるが、勾配は少し進んでから始まる。 標柱には、「元禄8年(1695)に付近から坂上南側に移転した寺院の名称を取った。それ以前に同名の別寺があったともいう。」と記されている。
ちょうど円通寺前から勾配がきつくなる。江戸三祖師の赤い旗が見える。日蓮聖人自ら入魂した木像三体の祖師像「江戸三祖師」の1つの寺院で、江戸時代には厄除け祈願で盛況を博した。また円通寺の鐘は江戸時代には時刻を知らせる「時の鐘」として知られていた。時の鐘は江戸城の周りを取り囲むように7ケ寺あったうちのひとつだった。
赤坂の寺ではあるが、墓所を募集していて、永代使用料や管理費は世田谷のうちの墓所の倍くらいだった。 墓も不動産相場に準ずるのだろうか。『府内備考』にある、「円通寺坂、黒鍬組屋敷と円通寺の間の坂なり」というように坂下には江戸城の土木役人が住んでいた。 坂下の路地裏にある鈴降稲荷辺りまでの通りの北側が組屋敷だったようだ。
黒鍬組とは、江戸時代に城内で土木作業が必要な折に従事した今でいう公務員で、当時の絵を見るとちょっと強面の屈強な男の図が多い。
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