丹後坂(赤坂)
赤坂は坂の街である。 江戸時代から武家屋敷と町屋が交じり合う活気ある街だったが、おおむね坂の下には町民や下級武士が住み、坂の上には大名と住み分けをしていた。 丹後坂はその坂上の武家屋敷から下る階段の坂。 古い写真では石組みの階段だが、今はコンクリートで固められて御影石のタイル風になってしまって風情が失われた。
以前は真ん中の手すりも植え込みもなく、鑿(ノミ)の後の残る階段だったが、昭和初期と中期では様子が違うので、定期的に整備されてきたのだろう。 丹後坂の由来については、標柱には、「元禄(1688~)初年に開かれたと推定される坂。その当時東北側に米倉丹後守(西尾丹後守ともいう)の邸があった。」と書かれているが・・・。
横関氏の本によると、どの大名を指して丹後守を名付けたかは特定が難しいようだ。 江戸時代は一人の大名が何度も名前を変えていた。江戸時代は西尾丹後守だったり、ある時期は坂の反対側の竹腰丹後守だったり、それでも江戸末期に向けてはやはり米倉丹後守が最も市中に知られていたようで、その時代にタイムワープしてみなければわかりそうもない。
丹後坂の坂上の道はそのまま行くと山脇女学園前の牛鳴坂の中腹に接道する。 赤坂署の裏手を周るこの道こそが江戸時代からの主要道で、青山方面から赤坂見附を経て城内に入るのに多くの人々が通った道だった。 青山通りの開通は明治時代の中頃、路面電車が通ったことで広い通りが開かれた。
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