弾正坂(赤坂)
弾正坂(だんじょうざか)と読む。 弾正とは警察のような役割を持つ役人で、犯罪の取り締まりを行っていた。 標柱には、「西側に吉井藩松平氏の屋敷があり、代々弾正大弼(だいひつ)に任ぜられることが多かったために名付けられた。」とあるが、それを読んでも何のことかわからない。
大体吉井藩松平氏が弾正役人を代々任ぜられたのは史実のようだが、西側にあったのは播磨の明石藩の殿様の上屋敷。 もしかしたらそれ以前に吉井藩の松平氏の屋敷があったのかもしれないが、どうも江戸時代の松平は、今でいう佐藤と鈴木と高橋と田中と伊藤を足したくらいのシェアがあった上に、大名は何度も名前を変えるので追跡が難しい。
坂は青山通りに二分されているが、本来の街道は牛鳴坂から山脇学園の前を通る道で、都電を通すのに開いたのが青山通りだから、江戸時代は二つの弾正坂は一本だった。この青山通りに電車を通すという作業で、いろんなものが動いた。 旧赤坂小学校、豊川稲荷などだが、それでも羊羹のとらやは500年以上ここで商売しているというのがとてつもなく凄いことに思えるのだった。
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