南部坂(赤坂)
南部坂は都内にふたつある。一つは広尾の有栖川公園とドイツ大使館の間の南部坂。そしてもうひとつがここ赤坂の南部坂である。有名度でいえばこちらに軍配が上がる。というのも忠臣蔵赤穂浪士の討ち入りの「南部坂雪の別れ」の舞台だからだが、実は私はまだ忠臣蔵を見たことがない。人生60年の間に何故見なかったのかはわからないが、見ていないのだから仕方がない。
南部坂の勾配は16度とかなりの急坂である。坂の西側はアメリカ大使館の宿舎で、ジグザグの不思議な建物が並んでいる。グーグルアースで見ると面白いし、六本木ヒルズの展望台からも見ることができる。この米国大使館宿舎の場所は、江戸初期には岩手の盛岡南部藩屋敷だった。そのため南部坂と呼ばれていた。
明暦2年(1656)、南部藩屋敷はここから広尾に移転したが、坂名は残る。しかし南部藩はいなくなり、坂は急峻なままであるため難歩坂(なんぶ坂)などと別の字を充てられるようになる。また南部藩の引っ越し先の広尾の坂も新たに南部坂と呼ばれるようになるという、江戸時代の坂名の変化を残していて面白い。その後忠臣蔵で有名な浅野内匠頭の屋敷になり、江戸後半では、真田幸村の兄の系譜である松代藩真田信濃守の屋敷となったが浅野坂や真田坂にはならなかった。
坂は石垣と土塁に迫られて味わいがある。江戸中期の古地図には六本木通りの走る筋が川になっている。また坂を下りながら見上げるとアーク森ビルとインターコンチネンタルホテルの高層ビルが空を奪っている近代的な景色。江戸と現代が一つの額縁に入ったような風景は脳裏に残る。 坂下には石のような標柱があるが、コンクリート製で昭和42年とある新しいものだった。
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