新坂(赤坂)
新坂という名前の坂は多い。東京23区内にも二桁ある。赤坂周辺だけでも、日比谷高校に上る坂も新坂だし、この青山通りからカナダ大使館脇を下っていく坂も新坂と二つの坂がある。今でこそ赤坂8丁目という町名だが、最近まで新坂町という名前の住所だった。 行政上都合があるのだろうが、町の名前は勝手に変えないでほしいものだ。
坂上と坂下に標柱がある。「できた当時は新しい坂の意味だったが、開かれたのは古く元禄12年(1699)である。しんさかとも発音する。」と記されている。 なぜか新坂には古いものが結構ある。江戸っ子が面倒だったので名前を変えずに呼び続けたという可能性が高いのではないだろうか。 江戸切絵図には「シンサカ」と片仮名で記されている。坂上のカナダ大使館と高橋是清記念公園の一角は丹波篠山藩の青山備前守の中屋敷、坂下の反対側は山口県徳山藩の毛利淡路守の上屋敷だった。
坂下から見上げるとまっすぐな坂道で、坂下のほうが勾配がきつい。 地形から推定するに、赤坂の谷は、前述の黒鍬谷、このシンサカの下でY字型に出合う谷、乃木坂から下る流れ、そしてかつての萩藩毛利邸(現東京ミッドタウン)の池から流下する檜坂の谷筋の4本が合流して、赤坂氷川公園の北側を流れ、福吉坂下を通って溜池に流出していた。とはいえ赤坂付近に人が住み始めたのは、縄文時代の6000年ほど前の話だから、その小川も江戸以前にまで遡らないと無垢な姿にはならないだろう。
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