鼬(いたち)坂 (麻布台)
この坂を書いている書物はほとんどない。 横関氏は索引でのみ「鼬坂: 植木坂の別名」とだけ記載しているが、それ以外には道家氏の『東京の坂風情』だけがこの坂を項目で扱っている。 時代と文献によって坂名が混同しているため、明確に鼬坂として扱いにくいのだろう。
坂下には前述の島崎藤村旧居の碑がある。 そのまま上ると彼方にアークヒルズ仙石山森タワーがビルの隙間に填まるようにそびえる。江戸時代の切絵図ではこの坂上に向かって左側が「植木ヤ」だったようだ。
この坂も勾配はきつい。 道家氏はこう書いている。この坂につながる「鼠坂」「植木坂」とまぎらわしく説明されたり、植木坂の一部と説明されることもあった。坂名の由来についての確証はないが、起伏のはげしい谷筋であっただけに、いたちも出没して人を驚かしていたのではないか。続いている鼠坂や近くの狸穴坂にも対応しているのかもりれない。坂下の東は崖となって谷に続き,西は山地の崖際で,いわば崖の一部を削って道としたような位置にある。(東京の坂風情)
坂上の外苑東通りに出ると目の前に古びた洋風の建物がある。 現麻布郵便局、日本郵政飯倉ビルである。1930年(昭和5年)に旧逓信省貯金局庁舎として建てられた。 近々森ビルによって再開発で取り壊される。もったいない話である。そんな時代の変遷を東京タワーが見下ろしている。
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