福吉坂(赤坂)
赤坂の谷の南側の段丘につけられた階段の道である。 江戸時代から明治・大正までこの階段の下には川が流れていた。 江戸時代の切絵図を見てみると、上流は檜坂下あたりで江戸期には清水谷と呼ばれていた。
清水谷が南の沢、それに乃木坂からの沢、新坂からの沢が合い、ここを流れて溜池に下っていたが、町家の裏手を流れていたので江戸時代はほとんど下水状態だったと思われる。 道になったのは大正の終わりか昭和に入ってからだろうと想像する。
坂の途中の踊り場の掲示板に福吉町の名前が残っているのがうれしい。 10年ほど前の写真と比べると、福吉坂の周りの飲食店はほとんどが入れ代わっている。 赤坂という街の変化の激しさを感じる一面である。
坂上から見るとなかなかの高低差である。上の写真の右壁に大きな金属の板が貼ってあり、改修工事のいきさつが書かれていた。
「私共地元の赤坂福吉町会は、永年の懸案として後輩著しくなったこの福吉坂石段の改修工事を計画、土地所有者の(株)コクド様の全面的なご協力と共に港区役所の助成金と、地元の多くの方々の御協賛を得て完工したものであります。(云々) 平成九年三月」
昔も今も江戸っ子は街が好きなんだなと思った次第。
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