植木坂(麻布台)
鼠坂の坂上で西に向かってさらに上るのが植木坂である。 標柱には、「この付近に植木屋があり、菊人形を始めたという。外苑東通りからおりるところという説もある。」とある。 外苑東通りからおりるところというのは後日出てくるいたち坂のことだ。 江戸時代の切絵図を見ると、いたち坂の上、外苑東通りとの角に植木ヤとある。ただしそこから下るいたち坂のところに鼠坂とも書いてある。やはり坂名が交錯している。
植木坂は無論江戸時代からある古い道筋で、坂の南側は石見浜田藩屋敷があったが、江戸期から明治期にかけてこのあたりに植木屋が多くあったようである。勾配はかなり急だが坂は長くない。上った坂上を進むと永坂に出るが最後は階段で麻布通りに下る。
坂上から見ると少し曲がりながら下っているのがわかる。坂上から振り返りながら、なぜ坂下のあの場所に標柱があるかと考えてみた。おそらくいたち坂から見ても坂下にあたるので、港区としてはあのあたりに置かざるを得なかったのだろう。再び坂を下り、いたち坂に向かうと左側に私設の石碑がある。
島崎藤村旧居とあり、碑板には、「藤村は71歳の生涯のうち文学者として最も充実した47歳から65歳(大正7年~昭和11年)までの18年間、当地麻布飯倉片町33番地に居住した。大作夜明け前、地名を冠した飯倉だより、童話集ふるさとおさなものがたりなどは当地での執筆である。」と書かれている。
| 固定リンク | 0
コメント