行合坂(麻布台)
六本木周辺は次から次へと大きな再開発が行われるので1年も間を開けると街が変わってしまっていることがよくある。 首都高飯倉出口前の六本木グランドタワー(テレ東の入った住友不動産の40階建ビル)が今年の4月開業だが、オフィスが埋まらないらしくあちこちに告知がある。そろそろ供給過多でやばい時期に入ったかもしれない。
最初の写真(上)は2年前のものだが首都高速の反対側はほとんど変わっていない。 泉ガーデンが出来たときはまったく街の姿を変えてしまったが、今は落ち着いている感じがある。 行合坂の名の由来は標柱に書いてあった。「双方から行合う道の坂であるため行合坂(ゆきあいざか)と呼んだと推定されるが、市兵衛町と飯倉町の間であるためか定かでない。」 やはり港区の説明書はあてにならない。
2枚目の写真は今年の写真。 凹型をしているのがよくわかる。ここは我善坊谷という谷の源頭である。 不思議な谷で、麻布台がここだけ落ち込んだ形で逃げ込んだら出られないという風にも言われた。その形をここでは今も見ることができる。その我善坊谷がこの行合坂を作ったというわけである。
一方反対側(麻生十番方向)から見ると、両方の勾配はほぼ同じくらいに見える。 きれいな薬研地形である。何故かこちら側の麻布通りとの合流地点に警察官が二人いたが、何の警備かはわからなかった。今の麻布小学校があるところは明治時代は紀州徳川邸だった。明治維新以後も徳川家は広い屋敷に住むことができたのである。(本家は千駄ヶ谷だった)
坂の途中にはピザの老舗であるニコラスがある。隣の地下へのトンネルは会員制の麻布ナイトクラブ・スペアキーへの入り口で、なんだかとても怪しい雰囲気。 ニコラスの創始者二コラ・ザペッティは米軍に寄生していたアンダーグラウンドの闇商人で、六本木マフィアのドンだった。力道山や当時の自民党政治家も彼の世話になっていたと言われている。
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