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2017年6月 6日 (火)

姥坂(三田)

綱の手引坂の南側には雰囲気の良い路地がある。これが姥坂だが、江戸期の坂ではなく明治20年頃に開かれた坂である。 現在はこの姥坂の南側にはイタリア大使館が江戸時代の大名屋敷の庭を維持している。

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江戸期の大名屋敷だけあってうっそうとした樹木が生い茂っていてとてもいい雰囲気を出している。綱の手引坂からこのイタリア大使館までを含めて、江戸期は四国伊予松山藩の松平隠岐守の中屋敷だった。

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1703年に発生した忠臣蔵で有名な赤穂事件の折、47士のうちの10名の預かりを命じられたのが隠岐守(松平定直)である。 ブラタモリ(第1期)では大使に招待され邸内に入ったおりこの赤穂浪士の碑が今もなお庭にあるということに感心した。

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