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江戸時代にはなかった坂である。 江戸期は源慶寺と東長寺の間の茗荷坂が街道だった。 そこから靖国通り沿いに街道が続いていた。源慶寺の西には広い安保邸があり、海軍大臣の安保清種が住んでいた。戦後安保邸敷地を大きく横切る靖国通りに変えたので、この坂は昭和の坂である。
幾つかの権威ある坂道本には由来がわからないと書かれているが、昭和以前の地図を見ればここが安保氏の邸宅だったことは明らかなのに不思議である。タモリ氏の師である山野氏は安保邸の由来をきちんと書いていた。
2017年6月28日 (水) 坂道探訪 | 固定リンク | 0
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