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2017年6月15日 (木)

東福院坂(天王坂)

円通寺坂を下り、鮫河橋谷町沿いに歩くと、右も坂左も坂という地形になる。 まさに谷筋である。 南側に須賀神社の階段が見える辻を須賀神社とは反対方向の北側に上るのが東福院坂である。元は甲州街道から須賀神社への参道で、いったん下りそして上る道筋。
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坂の西側に東福院がある。標柱には、「坂の途中にある阿祥山東福院に因んでこう呼ばれた。別名の天王坂は、明治以前の須賀神社が牛頭(ごず)天王社と称していたため、この辺りが天王横町と呼ばれていたことによる。」と書かれている。東福院の向かいは愛染院。高松喜六の墓がある。
高松喜六は内藤新宿の生みの親、という事は新宿という街を生み出した最初の人である。江戸の初期、日本橋から甲州街道を行くと最初の宿場は高井戸だった。四里(16㎞)もあって長いので間の新宿にも宿場を作ろうと動いたのが高松喜六。 元は浅草の名主だった。元禄10年(1697)に請願をし、内藤新宿を作る許可が翌年に下りた。喜六は5,600両を納め、問屋・本陣を営んだ。 喜六が作った新宿がここまで発展するとは、本人が見たら仰天することだろう。
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坂の上、東側にはラジオ局の文化放送があった。 今は浜松町だが、一昔前(2006)まではここ四谷から放送されていたのである。若い頃遥か1,000㎞の彼方で夜な夜な聴いていたセイヤングもここから発信されていたと思うと、感慨深い。跡地に建てられたマンション(ランテンヌ四谷)の屋上にはアンテナ線が張られていて、中には非常用の送信施設があるそうだ。
 

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