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2017年6月29日 (木)

茗荷坂(富久町)

現在靖国通りは市谷から合羽橋下を通り、富久町を経て新宿に繋がっているが、昭和の戦後まで富久町から富久町西はつながっておらず(のちに安保坂となった)、いったん南西に下り、茗荷坂を上って富久町西に繋がっていた。現在の三角地帯にある源慶寺も、茗荷坂を挟んだ東長寺も江戸初期の開山で、江戸時代はそのまま大木戸門に行く道だった。 この辺りの斜めの道はそういう昔の道である。

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坂の途中に標柱があり、「この辺りは市谷の饅頭谷から西南に続く谷で茗荷谷と呼ばれ、茗荷畑があったという。坂名はそれに因んだものであろう。」とある。 のどかな畑の広がる場所だったのだろう。両側を墓地に挟まれた広い路地は格好の駐車違反場所になっている。

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富久町の由来は明治になってから久しく富む街にという意味で名付けられた。もとは紅葉川渓谷最大のの谷で、水の豊かな場所だった。江戸期はここと太宗寺の間(今の花園小学校のある新宿1丁目)には百人組の屋敷が広がっていた。鉄砲足軽の部隊であるが、江戸時代には町の外れであった新宿辺りには彼らの屋敷が多く、百人町の地名の由来も彼らが住んでいたからである。 相当貧しい層の武士であったようだ。

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