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2017年6月19日 (月)

高力坂(市ヶ谷)

外濠の掘削は江戸初期の大プロジェクトであった。 各地の大名にこの大土木工事が課せられた。 市谷八幡下から外堀に沿って上っていくのが高力坂である。坂下の外濠側の歩道に御影石の標柱がある。

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標柱には、「新撰東京名所図会によれば「市谷門より四谷門へ赴く、堀端辺に坂あり、高力坂という。幕臣高力小次郎の邸あり、松ありしかば此名を得たり、高力松は枯れて、今、人見の合力松を存せり、東京電車鉄道の外濠線往復す」とある。 すなわち、高力邸にあった松が高力松と呼ばれ有名だったので、その松にちなんで、坂名を高力坂と名づけたものと思われる。」と書かれている。

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高力坂は市谷見附と四谷見附の間にある。江戸時代も濠沿いの外堀通りは広い道だったようだ。 高力主税助の屋敷があったのはちょうど雪印メグミルクのビルの辺りである。市谷御門前には市谷八幡があり、その下の今の住友市谷ビルの区画は火除け地だった。江戸の火事は、濠をも飛び越えるので、こういう場所には建物を建てさせず火除け地とするようになったのは江戸中期からである。

高力松の写真→こちら

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