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2017年6月13日 (火)

女夫坂(四谷)

四谷三丁目というと私はお岩稲荷を思い起こす。 実在のお岩さんは田宮家の妻として幸せな人生を過ごしたのだが、お岩さんが信仰していた社が評判になり、お岩稲荷と呼ばれるようになった。お岩さんが亡くなったのが寛永13年(1636)だが、それから相当年月が経過した文政8年(1825)に鶴屋南北「東海道四谷怪談」の歌舞伎が大人気を博し、鶴屋南北によってお岩さんは於岩さんに変えられ、亡霊とされてしまったのである。

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その於岩稲荷は明治12年(1879)に焼失してしまい、初代市川左団次の勧めで中央区新川に移転した。 本当はそちらが本家なのだが、戦後昭和27年(1952)にこの古の場所にも社が建てられ田宮稲荷神社跡として賑わうようになった。

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於岩稲荷のひとつ東側の道が女夫坂(めおとざか)である。田宮家の夫妻とは関係ない。 女夫坂(夫婦坂)というのは、二つの坂が連なって一つの形を示している場合に名付けられることがある。新宿通りに向かってわずかに下り、その先でわずかに上っている。

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新宿通り側から見ても同じように見える。 わずかに曲がっているところが古い道らしい。お岩さんが生きていたころはまだこの辺りは野原で、鮫河橋谷町の谷筋の最奥の源頭にあたる場所だった。 この辺りはまだまだ原野で、それを武蔵忍藩(行田辺り)藩主の高木筑後守が開いたので忍原と呼ばれるようになったという。お岩さんの田宮家はその高木家に仕えており、この辺りの開拓を行ったようだ。 江戸の初期はこの辺りは原野の広がるエリアだったと思うと、立ち並ぶ建物がすべて刹那の物に見えてしまうから面白い。

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